この度は、私Taizoが運営しているサイト、「静岡県のお城」にお越しいただき、誠にありがとうございます。
トップページでも述べていますように、このサイトでは、主に戦国時代のお城に焦点をあて、それぞれのお城の歴史や特徴、保存状況などを詳しく説明しております。
私が言うのもなんなのですが…(^^;)かなり難しい内容となっております。なるべく分かりやすく説明するよう努めたつもりですが……。
なので、それぞれのお城を見る前に、こちらの説明をご覧ください。そうすれば、お城の解説がより深く理解できるはず……です。
皆さま、「お城」と呼ばれれば、どのようなものを想像しますか?
姫路城や松本城のような大きな天守閣があり、高い石垣があり、白く塗られた壁に瓦葺きの屋根……。例えばこんな感じでしょうか?
多くの人は、「お城」といえばこのようなイメージを持っているようです。これは仕方ないと思います。観光地になっていますし、「信長の野望」などの戦国時代を扱ったゲームでも、天守閣が描かれていたいましたから。
しかし、このような壮麗な「お城」が現れたのは、1570年以降なのです。東日本においては、1590年以降にようやく現れることになります。それ以前は、このような「お城」は、全くなかったのです。
じゃあ、天守閣が現れる前の「お城」はどんなのだったのか??といいますと……こんな感じです。
または、こんな感じ。
写真を見ても分かるように、東日本の戦国時代の「お城」は、基本的に「土の城」です。天守閣も、高い石垣も、満々と水を湛えた堀も、戦国時代の「お城」にはなかったのです。
その代わり、石垣の代わりには高く土を盛った土塁が、堀は水を湛えない空堀が、それぞれ設けられていました。
「お城」が造られた場所も、基本的には、山でした。
そう!!戦国時代の「お城」は、地味で、何もなくて、山にあるから登るのが大変で、草はボーボーだし、虫はいるし……とあって、まず一般の人は近寄らないのです。
そのため、多くの戦国時代の「お城」が、開発工事のため失われていきました。一般の人の認知度も低いために、保存運動を起こそうとしても、なかなか人が集まらない、ということもありました。
でも、これらは立派な「遺跡」なんです。残すべき財産なんです。日本という国が、現在に至る経過を示す歴史として。戦国時代が確かにあった証の一つとして。そして何より、正しい戦国時代のイメージを伝えるものとして。
このサイトは、本来、地味で、興味の湧かない戦国時代の「お城」に焦点を当てています。戦国時代の「お城」を実際に訪れ、保存状況を観察し、その「お城」の歴史とともに公表することで、記録保存と、他者に公表し認知度を上げることを目的としています。
では、戦国時代の「お城」は、どのようなつくりをしていたのでしょうか?
戦国時代の「お城」には、様々な施設がありました。研究者によって、それぞれ名前が付けられています。これを専門用語といいます。専門用語が何を指すか、どういう意味かが分からないと、深く理解することができなくなってしまっています。警察用語でいうシャブ(覚せい剤)とか、ゲンタイ(現行犯逮捕)みたいなものです。
詳しい専門用語の解説は、お城の専門用語辞典で取り上げていますので、ここでは簡単な解説にとどめたいと思います。
では、下の図をご覧ください。
戦国時代の「お城」は、基本的に、平坦地(曲輪:くるわ)・土塁(どるい)・堀・切岸(きりぎし)・虎口(こぐち)から構成されています。それぞれの用語の意味は、以下の通りです。
当サイトのメイン、「お城」の解説は、以下のような順序で説明しています。
お城によっては、発掘調査が行われていないもの、また、文字史料もなく、現況遺構による成果しか取り上げられないものもあります。その場合は、記述も少なく、結論も推測に頼らざるを得なくなります。あらかじめご容赦ください。
恥ずかしながら、管理人紹介です。
名前 | Taizo |
出身 | 生まれは広島県。今は静岡県に住んでます。 |
年齢 | もうすぐ30歳(>_<) |
専門 | 日本中世史。文献史料専門。城をテーマにして、卒論・修論を提出。現在のテーマは、「城とはなにか?」 |
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