静岡県のお城>静岡県の戦国時代


静岡県は、今川義元・北条氏康・武田信玄・徳川家康といった、戦国時代を代表する大名たちが、領土を広げるために争った場所です。そのため、他大名の侵入を防ぐために、多くの城が造られ、その城を攻略するために、合戦が繰り広げられました。
有力な戦国大名の抗争の舞台となった城周辺の政治状況の変化、争いの起こりと結末を把握することは、戦国時代の城を語る上で欠かせません。

このページでは、戦国時代、静岡県で起こった戦国大名同士の抗争を、テーマごとに分類し、抗争の経過を詳しくたどっています。ちょっと難しいかもですが、興味のある方は、どうぞ♪




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出来事簡単な内容
今川氏親の遠江国平定…今川氏の戦国大名化
「河東一乱の経過」…今川・武田・後北条、三国同盟の契機家督相続後まもない今川義元が初めて体験した対外戦争。「河東一乱」は、今川氏の領国全域に広まったものの、それが支配体制の強化と、三国同盟締結による三河国侵攻へと繋がっていく。時系列に沿って、「河東一乱」を整理してみました。
「遠州錯乱」…今川氏滅亡の序章
「駿州錯乱」…三国同盟の崩壊、今川氏の滅亡
元亀2年(1571)・同3年の武田信玄による遠江・三河侵攻について武田信玄の元亀2年遠江・三河侵攻は本当にあったのか!?最新の学説に学界が揺れた!!
Wikipediaでも簡単にしか触れていない最新の研究成果を、当サイトが詳しく整理します。
武田勝頼と徳川家康…駿河・遠江両国をめぐる熾烈な争い元亀4(1573)年4月の武田信玄の死去から、天正6年(1578)3月に勃発する「御館(おたて)の乱」までの、武田勝頼と徳川家康の駿河・遠江両国(一部三河国も含む)をめぐる争いの経過を、編年形式で追ってみました。
武田勝頼と北条氏政…上杉氏の家督争い「御館の乱」の結末






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