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普請(ふしん)

土木工事のことをいいます。



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貿易陶磁器

貿易陶磁器とは、主に中国から輸入された陶磁器のことです。青磁・白磁・染付があります。

小野正敏氏によれば、戦国期において、貿易陶磁器は、次の3点で市場の流通や国内生産をリードした、と述べています(「商品流通よりみた戦国期中国陶磁の果たした役割と画期」『戦国・織豊期の陶磁器流通と瀬戸・美濃大窯製品』2001年)。

  1. デザインや機能が、瀬戸美濃産陶器などのモデルとなったこと
  2. 低価格と新モデル投入で消費者の需要を開拓したこと
  3. 供膳具分野では、特定の時期を除き量的にも充足していたこと

貿易陶磁器は、輸入物だけに高価なイメージがありますが、日常品に関しては求めやすい価格だったようです。
小野氏の作成した表では、染付皿が1576年の段階で35文だったといいます。時期は遡るものの、1490年の大工の日当が100文だったことを考えれば…、小野氏の指摘する通り、求めやすかったのかな(100年前の大工の日当が参考になるとは思えませんが…)。

ただ、全国に多くの貿易陶磁器が流通していたことは、間違いではなく、発掘調査によって、多くの貿易陶磁器が出土しています。そして、それらを年代順に並び変えて編年を作り、国産陶器とともに、遺跡や遺構の年代を知る手がかりの一つとして重要視されています。



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■ 集落の堀 ■

堀とは、お城や集落、寺院、館・屋敷の周囲に掘られた溝のことをいいます。

堀の歴史は古く、弥生時代には、堀で囲まれた集落が全国各地に存在していました(環濠集落)。
中世になると、近畿地方では、集落を堀で囲んだ環濠集落が発達しました。近年の発掘調査成果により、環濠集落は、13世紀から14世紀頃には成立していたことが判明しています。
また、弥生時代の環濠集落の堀は、専ら敵の侵入を阻止する目的で造られましたが、中世のそれは、その他にも、貯水利用や水路整備などにも利用されていた、と指摘されています(山川均「中世集落と耕地開発」『中世集落と灌漑』同著書実行委、1999年)。


■ 館・屋敷の堀 ■

館・屋敷の周囲にも堀がめぐらされていました。いわゆる「方形居館」と呼ばれるものです。その成立について、橋口定志氏は、関東地方の発掘調査事例から、14世紀から15世紀と推測しています(「中世東国の居館とその周辺」『日本史研究330号』1990年)。
しかしながら、静岡県の十二所居館遺跡において、13世紀後半には、堀がめぐらされていたことが明らかになっており(浅羽町教委『十二所居館』2001年)、橋口氏の指摘は、少なくとも東海地方においては、当てはまらないことが明らかになっています。

堀の役割については、敵の侵入から防ぐだけではなく、灌漑のためにも使われ、館・屋敷主が用水の支配権を得ることによって、領主支配を行うことができた、と指摘されています(小山靖憲『中世村落と荘園絵図』東大出版会、1987年)。


■ お城の堀 ■

お城にとって、堀は、敵の侵入を防ぐために必要不可欠な防御施設でした。南北朝時代の軍忠状には、「堀際」で敵と戦ったとの記述が多く残されています。

戦国時代になると、様々な形の堀が見られるようになっていきます。有名なのは、山中城の障子堀(しょうじぼり)でしょうか。その他には、竪堀(たてぼり)、横堀、畝堀(うねぼり)、連続竪堀などがあります(ただし、当時はこのような言葉はなく、全て研究者が付けた名称です)。

これらの堀については、個別に説明していますので、そちらをご覧いただければと思います。

なお、近世のお城では、多くの堀に水が入れられ、防火用水や、水運のためにも使われるようになりました。



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本城(ほんじょう)

本城とは、

  1. お城の中の、最も重要な一区画(曲輪・丸)を指す。
  2. 領内の中で、最も重要なお城そのものを指す。
以上の2つの意味があります。
同じ意味を持つ語として、「実城」(みじょう)、「本曲輪」(ほんくるわ)、「一曲輪」、「本丸」があります。

「本城」は、15世紀後半から史料に現れてきます。「実城」も同じ頃から現れますが、「実城」の使用範囲は、東日本に限られ、西日本では使用例がありません。
逆に、西日本では、1570年代以降、「本丸」という語が登場し、「本城」と同じ意味で使用され始めます。これは、東日本にはない言葉です。
なぜこのように違う言葉が使われたのかは、明らかではありません。現在でいう方言みたいなものだった…のかもしれませんね(^^;)



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